隠しファイル9
(千日手論議)
2001年6月22日(金)
またしても、名人戦真っ只中。・・・と言うわけで、また日記を書くことにした。
しかも、また駒音掲示板(マリオ武者野ホームページ)での話題。普段は、他のホームページの掲示板を見ることはあっても、そんなに良く読むことはないのだが、今回はなかなか面白い話題だったので、ちょっと前のログから読ませてもらった。
トライルールについては、勝手に考察文の方で書いたが、今回は、千日手について。
この千日手をなくすため、いろいろなアイデアが出ていたのだが、こちらはトライルール以上に難しい問題だと思う。
そこでの話題は、先手後手の勝率を是正するため、千日手を後手勝ちにしたらどうか、というものなどであったが、まず根本的に何が問題かということがある。
実は、確かに将棋は先手の方が有利なゲームには違いないが、その差は微差で、少なくとも私は、この是正は必要ないと思っている。
問題なのは、将棋に千日手という引き分けがあることだ。持将棋にしろ、千日手にしろ、勝負に引き分け、指し直しの規定は、ないほうがいいと思うのだ。野球だって、サッカーだって、何時間も応援したあげくに引き分けでは、いくら解説者が、「いやー、すばらしい激闘でした」とか言ったところで、見ている方は、なんか消化不良だ。
この前の名人戦もそうだった。一日目に指した手順が全くの無意味になってしまうのは、2局見れていい、と言う人も中にはいるかもしれないが、多くの人は、「なんだよー」って思ったに違いない。
それに指し直し局は、持ち時間も短くなり、結局、(2日間心血を注いだ将棋に比べれば)価値の低い棋譜しか作れないんじゃないかと思うのだ。
だから、千日手はできれば、ない方がいい。
だが、これをなくす方法となると難しい。
その最大の原因は、千日手は、すべて同じ意味合いを持たないということがあげられる。つまり、序盤の仕掛ける以前の千日手と終盤のどうにもならない千日手は性質が違うのだ。
基本的に、私は、序盤は、先手に仕掛ける義務がある、と思う(これを後手勝ちにしてしまうかどうかはまた別問題だが)。しかし、終盤の千日手は、そうとは言えない。よく現れるのは、敵玉と同じ段に飛車を打ち、金銀をかけたり受けたりする千日手だ(この下に図面がある)。そして、これが避けられない時は、攻めている方は一手すきをかけなければ負けてしまう時であり、受けている方は、受けなければ詰んでしまう時なので、どちらも手を変えられない。
ここまで来てしまうと、先手に手を変えなければならないというのは酷な気がするのだ。
では、序盤と終盤の千日手は分けて考えたら、となるが、中盤の千日手もあるし、どこから区別するのかは、より以上に至難の業だろう。
この、駒音掲示板の千日手論議の中に、「江戸時代に千日手はなかった」という、マリオ先生の非常にためになるお話が載っていたので、勝手に載せてみた。
---------以下駒音掲示板から(図面は別に作り貼り付けました)
江戸時代には千日手はなかったのです。
正確には「千日手は仕掛け側が手を変えなければならない」というルールがあったので、『千日手指し直し』はなかったのです。
という局面で▲4一銀△3一銀▲3二銀成△同銀・・・・・
この千日手における「仕掛け側」は、もちろん先手ですよね。
では、図から△2二歩▲2四歩△2三歩▲同歩成・・・・
という千日手の場合、仕掛け側はどちらでしょうか?
江戸時代の将棋家元には、このようなルールに関する口伝が存在していたのですが、徳川幕府の崩壊とともに家元制度がなくなって、こうしたルールを伝える人がいなくなってしまったんです。
「王手王手の千日手の場合、王手を掛けている側が手を変えなければならない」というのは、江戸時代のルールの名残りです。王手だけは、仕掛け側がどちらか、はっきり分かりますものね。
で、それ以外は「引き分け、指し直し」と便宜上決めた。
このルールが(社)日本将棋連盟設立時に転用され、今日に至っているのです。
--------(ここまで、駒音掲示板より)
なるほどねぇ。それは知らなかった。いや、勉強になります、ほんとに。
確かに図、下の局面の場合は、仕掛けたのがどちらかは、はっきりしない。どちらかに手を変える義務があったとしても、そのルール作りは容易じゃないかもしれない。
なかには、囲碁のコウのように、一手ずつ手を変えたらどうか、というのもあり、(まあ、ちょっと考えたところでは)なかなか面白いかもしれない、などと思ったが。
でも、結局今のところ、自分には、名案はない。(おいおい。)
ところで、この駒音掲示板の中に、タイトル戦の最終局の決め方は、振り駒ではおかしいとする意見があった。
その意見を要約すると、世の中のどんな試合でも、引分けはタイトル保持者の防衛なんだから、タイトル保持者が有利な先手を持つべきだ、というものだ。
これを見たとき、なるほどー!確かにそうだなぁ、と思ったね。
で、その反論に、次のように、ころいぬさんが書いていた。
タイトル保持者は最強であるべきで、多少不利でも(=後手でも)ものともせず勝つべき。横綱が胸を貸すように、「タイトル保持者は最終局では後手でよい」とも言えません?
・・・・・・・うーん、なっとく♪(←優柔不断な奴)