2006年9月
★ 9月14日(木) ゆめまぼろし百番と長編詰将棋の世界
約3ヶ月前、「ゆめまぼろし百番」が発売された。
いずれは買うつもりではいたが、どうせすぐには始められそうもないと思い、急いで買う訳でもなく、ようやく先月ネットで注文した。
内容をちょっと見てみたら・・・。うーん、すごい。凄すぎる。まだ、全体の感じと3問しか解いてないのに。そこで、今回は、この本の話にかけて長編詰将棋のすばらしさを伝えられたら、と思い書いてみることにした。(長いよ)
なお、表紙作と2問目は、このページの後半部分に、解答に近い事柄が書かれているので、自力で解きたい人は解いてから読んで下さい。
ところで、この本の話をする前に、まずこの話を書く自分がどの程度の立場にいるのかと言うことを先に話しておきたいと思う。と言うのも、自分には、この本のすばらしさを全ては認識出来ないし、それ故すごさのすべてを紹介できないと思うからである。
だから、「詰将棋についてこの程度関わってきた人間の話である」ということを最初に断っておきたいのである。
さて、自分が詰将棋に本気に取り組んだ時期は大きく二回だ。一度は、高校生の時。たまたま同級生に詰将棋を作る友達がいて、休み時間になると詰将棋を持ってきて、授業中いつも詰将棋を解かされていたのである。
実は、ずいぶん後になって、この同級生、当時から詰パラに投稿していたことを知った。と言うのも、たまたま詰パラを見ていたら、「あの人は今」という昔投稿して今やっていない人の特集記事にその友達が載っていたからである。
当時、いつも余詰を指摘してやっていたのだが、投稿していたのか、とこの記事を見て初めて知ったものだった。
しかし、高校卒業後、将棋とも詰将棋とも離れてしまった。
二回目は、今から10年〜15年位前である。
きっかけは分からないのだが、なぜか近代将棋の詰将棋を解き始めたのである。鑑賞室(今の秋の詰将棋と同じようなもの)を解いてその後すぐに研究室(後の夜の詰将棋:今の冬の詰将棋と同じ)を解くようになった。
本気で解いていた時期は5年〜10年位だっただろう。近代将棋を買ってくると、まず鑑賞室の8問を一日で解き、その後研究室の4問を一ヶ月かけて解くのである。大抵は2週間くらいで解けて、解答を出していたが、難しい問題が混ざると一ヶ月近くかかることもあった。
自分が詰将棋にもっとも傾注した時期であり、詰将棋という特殊な世界に魅了されていた時期でもあった。
当時、詰将棋作家の人と接触がある訳でもないので、それほど作った人のことを考えることはなかったが、それでも、「あ、またこの人の難しいやつだ」とかいつもすごい詰将棋を見せられると、解くのが楽しかったことは覚えている。
自分が近代将棋の詰将棋を必ず解いていた僅か数年間の記憶の中に出てくる人と言えば、添川公司さんと墨江酔人氏が強烈だ。もちろん他にも何人もすごいなという人はいるのだが、特にこの二人の詰将棋は、解後感も良く挑戦意欲をかき立てられた。
そして、今でも鮮烈に覚えているのは、添川氏の銀馬車。
たまたま先月(9月号)の近代将棋に添川氏のインタビューが載っているが、なんと自分が解いていた頃からすごい詰将棋を出していて、今でも出し続けているのに驚いた(自分は詰将棋をやらなくなって、近代将棋を何年も買っていなかったので)。
その近代将棋に載っていた銀馬車の修正図をここに載せておくので、やってみて欲しい。と言っても、残念ながらほとんどの人は解けない。(おい)
いや、バカにしている訳ではなく、実際指し将棋の棋力でいったら、四段以上、詰将棋を特に得意にしているとしても最低でも初段以上の棋力はないと無理だと思う。
ちなみに手数は171手。と言っても手数の長さと難しさは必ずしも比例はしない。
この銀馬車、入り方はそれほど複雑ではないので、二十数手先まで考えて欲しい。
なんとものすごい手順の馬鋸(うまのこ)が出現するのである。
詰将棋初心者の為に、馬鋸について少しだけ説明すると、たとえば自分の自作詰将棋の第2問が、ミニ馬鋸になっている。
この自作のものをさらにちょこちょこっと今変えてみたのが左図。
これは詰将棋としてはちょっと不完全なのだが、簡単に詰むし、馬鋸を説明する為に作ってみたものなのでちょっとやってみて欲しい。
解答(この下を選択:マウスでドラッグ)
▲2三歩成△1一玉▲2一と△同玉▲3二馬△1一玉▲3三馬△2一玉(△2二歩合は▲1二歩で、金、飛合は▲同馬で早詰)▲4三馬△1一玉と馬を一つずつ遠ざけて7七の桂を取りに行く。そして▲7七馬の後、△2一玉▲1一馬△同玉▲1二歩△2一玉▲3三桂△3一玉▲4一とまでとなる。
つまり、この馬の動きを馬鋸と言うのである。そしてこれがもっとも単純な馬鋸なのである。
この馬鋸も初めて見た時は、面白いと思ったが、上の銀馬車の馬鋸はそんな馬鋸のイメージを覆すような動きをするのである。
そんな馬鋸の動きを、できれば自力で発見して欲しいが、それも出来ないという人の為に、一応ここに動かせるような解答を載せておいた。
この動きだけでも、長編詰将棋の面白さ、そのすごさを少しは味わえると思う。
※銀馬車の再現解答(再現出来なくなりました)
ところで、この銀馬車は修正図であることが近代将棋には書かれている。そう、この銀馬車が最初に近代将棋に載った時に、余詰があったのである。
実は、この銀馬車のことを特に良く覚えているのは、馬鋸に驚嘆した、ということもさることながら、この後の余詰探しに相当な時間をかけたからである。
当時余詰を探すのが大好きで(←いわゆるマニアのひねくれ根性)、危なそうな筋を片っ端から頭の中で詰ませにかかった。そして、ついにその一つを見つけたのである。
当時は解くのに盤駒をほとんど使わなかったので、この銀馬車も頭の中だけで解き、最終的に余詰を指摘する時だけ、間違ってはいけないと盤駒を使って確認していたのを覚えている。
この銀馬車の解答と余詰、両方の指摘は、自分一人だったということが近代将棋に名前入りで載ったのを見て、大いにひねくれ根性を喜ばせたものだった。
上のことは、まあちょっとした自慢話だが、当時はそれなりのものを解く棋力はあったと言うことだ。え?もちろん今は、駒を動かしても解けるかどうか怪しいですけど。
つまり、これから「ゆめまぼろし百番」の書評とも言うべきものを書いていく上で、その書いている本人は、詰将棋と以上のような関わりを持ってきたということである。
さて、と言うわけで、これから下に書いていくことは、
「詰将棋マニアとまでは呼べないけれど、指し将棋よりも詰将棋が好きで、少しは長編詰将棋も解いてきた人間」
の「ゆめまぼろし百番」に関する感想である。
ところで、この「ゆめまぼろし百番」の週刊将棋の宣伝文句は、「宗看・看寿以来の天才が、人生を賭して生み出した一冊!!」である。
これを見て、「へぇー、そんなにすごい人なんだ」ってのが自分の感想。この上にも書いたように、自分と詰将棋の接点は、近代将棋だけであり(詰パラも時々買ってはいるが、長編はほとんど解いていない)、しかも10〜15年位前に作品を出していないと見ていないのである。
自分の、作者である駒場さんの認識は、「名前は聞いたことがあるな」くらいだった。(失礼)
だから、今回買ったのは、この週刊将棋の宣伝文句が大いに役に立ったと言える。
宅配便で送られてきたこの本をまずそおーと開けて、まえがきを読んでみた。その面白い考え方に惹かれたが、その後に次のような文が載っていた。
『言わずもがなのことだが、詰将棋というものは本手順、変化手順、紛れ手順の三者で成り立っている。ということは、本手順だけが作意ではないということである。変化は変化であるように、紛れは紛れであるように作るのだから、この二者も作意であるはず。本手順に作意としているのは、三者の代表としてであろうか。
ま、そんなわけで私の作品は変化・紛れもよくみてもらいたいもの。隅々まで神経が行き届いていてー。』
この文章、最初に読んだ時には、「ふーん」と思い、さして深く考えていなかったのだが・・・。最初の問題で、いきなり「なるほど!!!」と納得させられてしまった。
------ (表紙作を解く)
「ゆめまぼろし百番」は、中に百問と表紙に一問あるので、全部で百一問ある。その表紙の問題がこれだ。
まず、最初にこの問題をやってみた。そう、見た感じそんなに長くはないだろうと軽い気持ちで。
「えーと、飛車を取られてはダメだから、6五飛成か、4三にどちらかの飛車を成るよりないな。」
しかし、すぐに初手は▲4三飛左成しかないことに気付く。つまりそれ以外の王手はすぐに行き詰まってしまうからだ。
▲4三飛左成△6四玉▲7六桂△7四玉▲5四龍△8三玉▲8五飛・・・。一目追いかけて行って詰みそうだが・・・。
ここで、ふと思う。「あれっ?△5七歩って何だ?」今のように追いかけていくと、この5七歩の意味がなくなりそう。じゃこの手順は間違いなのかな、と思い直し、また初手に戻る。
この歩に意味を持たせる為には、▲4三飛右成がもっともありそうだが・・・。しかし、△5五玉▲6七桂△5六玉ですぐに行き詰まる。
ここで悩んだ。結構悩んだが、結局▲4三飛左成しか追えないことを確認してとりあえず歩は無視して解いて見ようと思った。
そして、二十数手後。「す、すごい!!!何だこれは!?何でこんな手順が出てくるの?」
それは何て言うか、深いジャングルを探検していたら、突然目の前に古代遺跡が現れたような、そんなゾクゾクっとする発見。文字通り”発見”なのである。
何かの本で、裸玉の詰将棋は、盤上に何も置けないので、発見なのである、みたいなことが書かれているのを見たことがあるが、この問題もそれに近い(なんて言ったら作者に失礼かもしれない)。
でも、そんな感じがするのである。つまりこの簡素な形から、二十数手後に現れる手順。その手順しか詰みがないということ。それはまるで奇跡的なことのようにさえ思えてくる。こうしたところに、詰将棋の奥深さ、神秘性を感じてしまうのである。
※再現できる解答はこちら(再現出来なくなりました)
「すごいなぁ、この手順」と頭の中で反すうしていてふと思った。「あれ?△5七歩はどこで必要になってくるんだ?」
たぶん、歩の合駒が出来ると詰まないのだろうな。と思ったが、どうも本手順を考えてみてもそのような局面にならない。「おかしいな」と、ここでもし柿木のソフトがなければまた何日も考えたに違いない。
試しに、歩を取った状態で詰ませてみる。(←昔なら自分で考えたが、今は簡単にソフトに頼ってしまう)
・・・・・・・詰まない。「やはり不詰め対策だな」と思うが、しかしどこで詰まなくなるのか分からない。
そこで、今度は少し進ませた状態からソフトに解かせて見る。何と歩がなくても解けた!
「あれ!?いったいどうなっているんだ!?」
ソフトの力を借りて、次第に犯人を追いつめて行く。
そして、ついに見つけた。「そうか!8手目に中合いだ!!!」
つまり左図で、作意は△7二玉と逃げて何にも疑問に思わずに本手順を進めてしまったが、ここで△8四桂!!!という中合いがあるのである。
この桂合いも難解だ、と思う。(思うと言うのは、自分で詰ませずにソフトに詰ませてしまったから)。
ここで作意は△7二玉以下の手順であの五段目の横追いが発生するのだが、桂の中合いをするとその変化を詰ませる手順中、5筋に歩が利くと詰まなくなるのである。いや、すごい。しかもその手順も言葉を失う位すごい。これをソフトも使わずに作るなんて!
ようやく△5七歩の意味を見つけて安堵したが、ここに至ってやっとあの作者のまえがきの言葉を理解した。なるほど、変化にも紛れにも神経が行き届いているわけですね。
そして、ここまでやってから解説を見たところ、『横追いの方が五段目というのが奇跡的な発見であった』と書いてあることから、やはりある程度は”発見”と言った感情を持つのかとも思った。
しかし、この中合いについて、この△5七歩の意味については何も書かれていない。うーん、この「ゆめまぼろし百番」には、解説にも書かれていない、ものすごく多くの謎が隠されている、という訳ですか。
------ (長編詰将棋の楽しみ方)
さて、本来なら詰将棋というものは、詰めて見ないとその詰将棋の本当の難しさ、面白さというものは分からない。
作意だけを並べてみて、大駒捨てが随所にあるからと言っても実際に解いてみたら易しかったり、逆に平凡な手だけでやさしそうと見えるものが、実は解いてみると超難解物だったりすることもある。
だから、本来は詰将棋は解いて鑑賞するものである。
しかし、そうしかし、である。銀馬車とかそれ並みの長編詰将棋を解ける人など将棋を知っている人という意味において考えるとほんの僅かである。
もし、詰将棋を解ける人だけしか「ゆめまぼろし百番」を買わなかったら、100冊くらいしか売れないかもしれない。いや、この百問の中には、正解者ゼロ作が4つも入っているのだ。だから一冊も売れないかもしれない。
これではもったいない。詰将棋の不思議な世界を多くの人に楽しんでもらいたいのに、難しそうというだけでその世界を見てもらえないのはあまりにも残念である。
それに、昔なら出来なかったことが今はできることがある。解けない人が楽しむにしても、昔ならやはり盤の上に駒を並べて解答手順を動かすより他に手はなかった。それは確かに面倒なことだ。
しかし今は柿木将棋があるではないか。このソフトなら、「ゆめまぼろし百番」でも大部分は解けると思う。(←全部はやってないので分かりませんが)
そして、パソコン上で簡単に再現できるのである。もちろん、解かずに再現しただけでは、本来の面白さの10分の1も満喫できない。そこで、自分が使う長編詰将棋の楽しみ方を紹介したい。
左図は、第2番妖棋伝である。この問題を題材に、自分の解き方、楽しみ方を書いてみたい。
自分はこの問題を柿木に入れてまず解かせた。そして解答を見ないで、図面だけを印刷して常時ポケットに入れておくことにしたのである。
暇な細切れ時間に時々取り出して詰めてみる。しかし、当然のことながらそんなに簡単ではない。
2二で精算した後、飛車を打ってみるが、どうしてもすぐに続かなくなってしまう。
あんまり変化がないのに、右上隅から脱出できないのである。まるで、キツネに化かされて、森の中をぐるぐる回っているみたいだ。
2、3日、暇な時間に考えていたが、どうしても脱出できないので、脱出のところまでというつもりで解答を見てみることにした。
ソフトを一手ずつ動かしてみると、7手目▲2一と!!!「うっ!全然考えなかった。▲2一飛の一手だと思いその後を考えていたのだが、ここでと金を捨てるのか!」
一手だけ解答を見れば、すぐにその意味は分かった。そう合駒がないからこれでも結構追えるのである。その後、3七の桂を飛び出したりして追いかけ始めた。しかし、1時間位考えていたが、どうしても3筋以降にやはり脱出できないのである。
山から下りる道は見つけたのに、山から下りてきたらそこはまだ知らない村だった、みたいな。今度はその村から他の町に出られないのである。これでは家に帰れない。
そこで、仕方なくまた解答を見ることにした。一手一手ソフトの手順を進めていくと、自分が読んでいた通りに進んでいく。「間違ってないなぁ。いったいどこに読み抜けがあるんだろう。」と思いながら、進めていき、35手目▲2六角!!!
「うわっ!この手は全然考えなかった。▲2六龍△1八玉でダメとして打ち切ってしまっていたよ。角かぁ!△1八玉には?そうか▲3八龍で合駒が悪いのか。というよりそうか!!」
ここへ来て、やっとこの作品の真の狙いが分かった。常に合駒できない状態で追いかけると言うことなんだ。
この▲2六角を見てから後はやさしかった。どんどん玉を右へ追い出し、さらに下段へ追いかけていく。多少引っかかったところはあるが、それでもそんなに時間をかけずに最後の詰みまで到達した。
全部解いてから解説を読む。なるほど。
ソフトに解かせて、このように部分部分で解答を見る、という楽しみ方。本来は全部解いた方が、たとえば▲2六角を発見した時でもその喜びは大きい。しかし、どうしても解けないこともあるし、何より現代人は忙しい(^^;
つまずいたところで解答を一手だけ見る。自分の読みになかった手に驚き感動する。そしてまた考える。そんな楽しみ方があっても良いのではないかと思う。もちろん、3手5手の詰将棋に四苦八苦している人は、この詰将棋は全く分からないだろう。しかし、それでも少し考えては答えを見る。「こっちへ逃げたらどうするの?」と言う疑問には、柿木ソフトが即座に答えてくれる。その中で新たな発見があり、またその趣向に驚き、感動することがたくさんあると思う。
もちろん作者にしてみたら、全部解いて欲しいと思っているかもしれないが、そんなことを言ったら、楽しめる人はほとんどいなくなってしまうだろう。
さて、自分は次の3問目に取りかかろうと思っている。この3問目は変化もあまりなさそうで、駒がどんどん消えていきそうだ。となるとこれは煙詰(けむりづめ)っぽい。(煙詰・・・最初、すべての駒が盤面にあるが、詰めて行く途中で取られていき、最後は、玉と攻方二枚の駒だけになる詰将棋)
こういう煙詰こそ、解かなくても良いから(解いた方がもちろんもっと良いが)、ソフトに入れてその手順を堪能して欲しいのだ。
盤面いっぱいの駒が次々に消えていく爽快な手順。そして最後は駒二つだけで玉が詰んでいる不思議。
さあ、その不思議な世界へ柿木将棋とゆめまぼろし百番があなたをいざないます。
P.S.
第3問目の淡雪だが、思った通り煙詰。難しい変化はほとんどなく、93手と手数だけを聞くとビックリして解く意欲をなくす人もいるかもしれないが、決して難しくはない。NHKの詰将棋が解ける人なら、これも盤に並べれば解けると思う。
前4問でもっともやさしく、今の自分ですら30分位で頭の中だけで解けた。面白い手順で駒が消えていく趣向を是非堪能して欲しい。